昭和四十年十一月二十七日 夜の御理解
昨日も秋永先生、高橋さん、終日御造営の事で見えておりました。二、三日見えておられん内に仕事が段々出来とる。大きなミスがあったりそれをそのままにしておったりしておったところやらを直して貰ったりこれからの事を注意したりしておかげを頂いております。 昨日も私どうしたことじゃろうかな、毎日あんなにその為にあの部屋でもこの部屋でも検討に検討してこういう風にして下さいと云うことを言ってあるのに、古屋さんも強情な人じゃなあと私や思わせて頂いた。
それは結果に於いてはかえっておかげと云うことになったのでございますけれども、余りにもそのそういう様なことが多いものですから大工も困るこちらの方も困る。ですから油断も隙もでけんと云う様な感じ。今日もやはり朝から見えとりました。毎日現場の員の方達は二人三人皆さん出られるんですけども、こういうやはり明細のとこは本当に自分の頭に入っとる人でなからにゃ分かりませんもんですから、今日も夕方から帰って見えてから今さっき帰られましたが、今度は大変な設計ミスがでけてるんですね。来て驚くですもんね。実際はあの大きな鉄骨のですね、梁が一寸ばっかり下がってる。あんまり大きな鉄骨、計算違いでしょうね。それが長い長いあれがこうやっぱり肉眼で見てもこう下がってる。あれに互いが乗ったらどういう事になるじゃろ分かんという訳なんですね。そこで今日は鉄骨屋が来ておりましたから鉄骨屋にその事を、もうみんな大工達もびっくりしてる気が付かなかった、ね。ですからそこんところを今度は尚頑丈な今度は他の所もそれがそういうことのない様にですね、又いろんな鉄骨が入るようになったそうですけども、私はそれを聞かせて頂いてから本当に昨日の様に本当にどうしたこつじゃろかと思わなかったですね。おかげだと思う。よりよくなって行くためだと私は思うですね。
昨日私はそんなことをミスのことを聞かせて貰ってから、どうしたことじゃろうかと、そりゃ私までも交えてここはこうなりゃこうしたがええと、話決っておるのにも拘らず一番初めの設計のまま古屋さんが大工に渡しておられるもんですから、一番初めの設計でやっておる訳なんですね。どうした強情な人じゃろかと云うて私言いよりましたら、私心眼に頂きます事が、大黒様が下りられるところを頂くです。大黒様が俵から下りられるところを頂くです。大黒様が俵から下りられたらやっぱいかん。俵という字はイに表と書く、表すと書くでしょう。俵という字、ですから云うなら私はです、どういう事であってもそれが丸になろうが角になろうがです、人が表してくれるものの上に座っとけばいいんだと云うこと。
大黒様は、 私のことを大黒様として表現して下さるんです。人が真心を持って表して呉れれる、それが丸であろうが三角であろうが、勿論先生それはどうしたらよいでしょうかと云う時には御神縁を頂いて、それは丸がいいぞ四角がいいぞ云うですけども、私が先に立ってどうしたこつじゃろかと悔やむこともいらなければ困ったことだと私が古屋さんのことで悪う言うことも要らん。ですからそんなこと頂いとりましたから、今日先生が来てからおかげばい、どげん考えたっちゃおかげじゃん、あんたどんが今日おかげを頂いてから事前にこうやっておかげ頂くと云うことが有難いじゃないか。事前にしかもそれが尚より頑丈になって行く、そういうことで設計士としてはです、そういう大変なところにミスがでけたら少しは心もやおなられるだろう、ね。決して断わりを言わせよるとかそげんなこつじゃないけれども、ハアーこれは自分はま少し自重せないかん、慎重にならにゃいけんといくらなんでも思われるだろう。思わんでもです、これからもその調子でおかげ頂いていきゃいいからあなた方がしっかり信心しときゃよかろうが、あんた方が、云うなら私やもう考えてみるとおかげとしか思われんと云うて今日話したことでございますけれどもですね、私や信心と云うのはそれが信心だとこう思うですね。
おかげを頂きましてからどうしたこつじゃろか、困ったことだと云うことはない。そこには必ず御神意がある。例えば今日の云うならば一番大変なミスですよね、一番大広前の屋根のしかも長い長い大きな鉄骨が下へ下がっている。こう一寸ばっかりへおっとると云うですもん。そういうこと、それに瓦どん乗せたらどういう事になるだろうか。本当思いますけれどもね、それがそのあれが例えば、屋根ども葺いてからとか、天井張ってからだったら何もかにも出けなかった。けれどもそこの合間合間に丁度お繰合わせ下さると云うことから有難い、結局は有難い有難いと云うことばーっかりと云うことになるんですね。
これはどんなに名人どんなに素晴らしい設計士と云うてもやはり人間のすること。何処にミスがあるやら分かりません。又名人と言われる程の人達が設計したと云った様なもの程そりゃ出け上がりは見事だけれども、実際使うことになってくると非常にミスの多いのに驚きです。見捨てるわけじゃないですけれども、使い勝手の悪かったりですね、死んだ部屋が出けたりそれはもう甘木の教会に行っても飯塚の教会に行ってもああいう昭和の左甚五郎と云われるくらいな名人の大工さんが建てたんです。
家の今度内殿を建てる大工さんが建てたんですからね。けれどもさあ見事ですけども実際使うてみると非常に使い勝手が悪いと云うことですね。
例えばそんなら竹中組が御本部の大造営ですたいね、あの大斎場のそれこそ見事な職人さんがお入りになって、ところが見事じゃあるけれども実際中に入ってみるとです、あの斎場 ま云うなら大体見事ですけどもあの二階の方の控えなんかちょいと、またまがるそうです。いわば余りに心が使うてないのに、それから地下室の地下全部便所になってるとこなんか、もう何時行っても本当に寂しいぐらいにみんな誰でも行ってないでしょうが。あれなんか設計の大変なミス。だから出来上りは立派であり設計そのものは設計書を見たり素晴らしいこつであるけれども、いわばなーんにもならんのが地下室に一杯あると云うこと。地下室に荷物置き場なんか見事に出けとりますけれども、だアーれも大祭の時ですら預けんのですから普通預けるもんがある筈がないじゃないですか。あの便所なんか使ってご覧なさい。その代わり何時行ったっちゃ使ってることがない。もうガラ空き、ああいうしかもあれだけの人間が入ってからですよ、前の日は入られんのですからね。何時もね、だから段々多なると云うことはない。もうあれだけ以上入らんのですから、それでいて地下室のあの膨大な計画をして建築はでけてるんですけども、その点本当に高橋さんが言われるんです。もう僕がこと信心さして頂くようになってから部屋ひとつ風呂ひとつ造らせて頂くでも御神意を頂いて御神意のままにさして頂くが、考えてみればみる程此処のお広前のごたるですもんね。此処のお広前もそうでしょうが、何か底抜けたごたる、引っ込んだごたるけれども、何処もここもがもう十二分に使われとるでしょうが。まるきり此処の楽室なんかの利用されると云うことなんか大変なこと、ひょっとした応接に使うかと思や食堂に、ね。私の控えに使う、楽室に第一使うでしょう。もうそのこれは一辺ぐるーっと回ってどの部屋でもこの部屋でも生きて使う。とにかく神様がなさっておられるんだなあと思うです。
ですからやはりあちらの御造営だって同じこと、みんなの真心もって出けとるんだからお粗末の御無礼のありよる筈がない。
けれども、成程大きなミスをさせてから、余計頑丈に例えばあの一番初めの基礎のミスなんかもそうだったでしょうが。ああいう大きないわばミスだったんです。確かにミスです。けどもミスのあったおかげでとにかく上に出張ったのが建ったちゃよかろうち云うごたる。そのだからああいう大きな大体は軽鉄骨の筈のつがああいう大きな重量鉄骨になって仕舞った。その重量鉄骨もです、やっぱり計算の間違いでしょうね。やはり今云うごたる屋根がこうやってへごる程な結果になってそれを事前にです、今ずーっと張りよるでしょう天井の下に張る防熱材、防熱の板を張りよるですね。防熱防寒の、ですからあれを張ってしもうとるだったら本当に私や行っておらんから分からんですけども、それこそ誰ーれも気が付く者がなかった。だからそれが気が付かせて頂いたおかげで他の所もこりゃ無理がいくじゃろと云うとこは全部手直しが今日鉄骨屋が来とったからするごと話したそうでございますけども。
ハアー条件に及ばん、どうしたこつじゃろかと云うことも何も要らん。おかげだなあと言うておればよい。
私本当にそれはおかげばい、先生そげん言いなさりゃそげんです。おかげはおかげですもんね。例えば私今日もそれ思うたんですけども、先生のお部屋の屋根の方がここの方は例えば一尺二寸出とんなら片っぽの方は一尺しか出とらん。屋根の だからもう見たとこおかしくちんばふんどるごたる感じなんです。ところがその後においてあすこにベランダがこう出けてみるとちょいと釣合が出ける。こりゃどげな銘石、石でんごげなこつはしやきりませんねて、言うてから秋永先生自身が言うとります。ですから勿論油断も隙もでけません。いわゆる信心にしかも油断なくさせて頂けばミスと思う困ったと思うことは必ずおかげの元になると云うことをです、そのことからでも分からせて頂くことがでける。大黒様に限らんみんながそこんとこに上がる、銘々そこんとこに上がっとけばいいんですよね。どうぞ。